野球派から見てサッカー派は、「自分だけの本業」に腰を据えて地道に積み重ねていく根性のない根無し草のチャラいだけのお調子者たちに見えるのに対して、サッカー派から見て野球派は、自分たちの慣れ親しんだやり方に固執して時代の変化に対応しようとしない鈍重で時代遅れな人たちに見える
サッカー派と野球派はなぜ仲が悪いのか?- 倉本圭造(2014/6/17)
日本の高度成長を支えてきた中高齢者の心の拠り所といえば、やはり野球だろう。子ども時代、「巨人、大鵬、玉子焼き」に魅せられたかつての猛烈サラリーマン戦士たちは、王や長島の打席に一喜一憂しながら、明日の英気を養っていた。
しかし最近のスポーツの主役は、すっかりサッカーに奪われたようだ。TV中継もすっかり減った。これがおじさんには面白くない。ただそうはいっても、これが時代の趨勢。そう諦めてはいるのだけれど、心の底では、あるいはあからさまに、サッカーを毛嫌いしているおじさんは、実はけっこう多い。
その理由をこの記事の筆者の倉本圭造氏は、野球は「一所懸命」型のスポーツであるのに対して、サッカーは「千変万化」型のスポーツだから、と指摘している。
簡単にいうと、野球は攻撃ならバッター、守備ならそれぞれのポジションが決まっていて、その時々に応じてきちんと役割がある。一回の表ノーアウト一塁なら、次はほぼ確実にバンドだし、ショートフライをセンターが捕りにいくこともない。
比べてサッカーは、中盤や守備の選手でも平気で攻撃に参加するし、ディフェンスの選手がゴールを決めることだって珍しくない。
こんな治外法権は、野球好きのおじさんたちには許されない。「分を知れ」と言いたくなる。これがまた、サッカーファンの失笑をかう。
高度成長時代の働き方とは、自分に与えられた役割を全うする、決して人の領分は侵さない、が基本的なスタイルだった。
しかしいまや時代はグローバルであり、クラウドであり、ワークシェアリングである。するとその時々で柔軟に自分のスタンスを判断し、全体を見渡して行動することが、働き方のスタイルとしても大切になってくる。野球に対する愛情や未練はわかるけれど、サッカー的な柔軟さを理解することも、これから新しく仕事に就く中高齢者には必要になってくるのではないだろうか。
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